「ふくい桜マラソン」からの便り

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笏谷石の採石場跡

足羽山には、61カ所の採掘場跡《露天掘り跡22、採掘坑道跡39、2007年調査》が確認されている。

かつて笏谷石を産出した足羽山の地下には、現在、長大な「坑道」と、とても地下とは思えないほどの高さと広さを持つ「採石場」跡が存在する。

元々、笏谷石は標高の高い上部から下に向けて採掘され、垂直に穴が作られた。
戦時中に、採石場は海軍の飛行機生産工場として接収され、この時に縦穴を繋ぐように坑道(横穴)が掘られため、長く広く開けた地下空間が造られた。

現在、笏谷石採石場跡を管理している越前石(株)の福島喜衞(よしえい)氏は、
「軍の工場として再整備されたことで採石場保全環境が向上し、現代にそのままの姿で残すことができた」、
と分析する。

 

福井石株式会社様のHP、笏谷石の郷、より引用させていただいています)

 

「七ツ尾口採掘場」
七ツ尾口坑と呼ばれる地下採掘跡は、石の名前にもなっている足羽山北西山麓の笏谷に位置している。
太平洋戦争終戦間際の昭和19年から舞鶴海軍の戦闘機部品を作る地下工場や防空壕として使用された。
その際、七ツ尾口に貫通口(出入り用の横穴)を設け、多数の縦坑(採掘場)を連結した。内部には、良質な石の層を探して掘り進み、幾筋にも分岐した横坑、地下水で水没した縦坑や、高さ十数mの大空間がある。壁面には人がツルハシなどを用い、手作業で丹念に石を切り出した痕跡が残されている。
ここは1963年(昭和38)まで採掘が行われたが、坑道が奥深くなった為に人力での採掘は限界となり、近隣の「長谷川口」に採掘が集約された。

平成元年から、地下の採掘場の一部が、日本酒の長期熟成の為の貯蔵庫として、またワインのセラーとして利用されている。

「七ツ尾口旧採掘坑道」に入ってみると、内部は大きな鍾乳洞のようで、そのスケールの大きさに圧倒される。福井市中心街から近い足羽山の地下に、このようなところがあるとは驚きである。

(「七ツ尾口旧採掘坑道」内部の様子は ぜひ、笏谷石の郷(福井石株式会社)のHPをご参照ください)

「七ツ尾口旧採掘坑道」内のほぼ中央部の「太陽の広場」では、周囲の笏谷石が、音を乱反射させるどころか、逆に音を吸収し跳ね返すことがないのだろうか、とてもクリアーで不思議な音響効果が味わえる。


足羽山の地面の下にある笏谷石の旧採掘坑道は、陥没の危険などを考えると(実際、平成17年8月に西墓地で大陥没が発生している)、この先このままの形で存在することは問題ありという議論も出てくるかもしれない。しかし、1500年以上続いてきた福井の『笏谷石文化』の存在を考えるとき、笏谷石採掘の歴史や採掘の様子がそっくりそのまま残されている「七ツ尾口旧坑道」は、福井の昔の人々の壮大な生活文化、精神文化を語る貴重な遺産でもあることは確かだから、安全等には十分配慮しつつ、後世にしっかり残して行ってもらいたい。。

 

「長谷川口」

歴史的には室町時代以前からあり、1999年9月まで採掘していた笏谷石最後の採掘場。
自然石を使える職人不足、タイルなどの安価な代替品による販売不振等によって、1999年9月から採掘が停止された。

 

「長谷川口」から眺める足羽山には、「七ツ尾口」、「木戸口」、「奥山口等」と呼ばれた、笏谷石採掘場の採掘坑が今も静かに眠っている。


(福井石株式会社様のHP、笏谷石の郷、より引用させていただいています)

「長谷川口」は、初めは笏谷石を露天掘りしていたが、露天掘り出来る石がなくなり、地下へ掘り下げた。この掘り下げた立坑が、今も2箇所保存されている。

(福井石株式会社様のHP、笏谷石の郷、より引用させていただいています)

 

ここは石谷(しゃくだに、笏谷)山といわれ、笏谷石で造られた山の神の祠がある。

 

 

「朝日山不動寺
「朝日山不動寺」は、明治中頃まで採掘が行われた露天掘りの跡。
同寺の背後に切り立つ高さ30m以上もの岩壁は、採掘の規模を物語っている。
笏谷石の露天掘跡の岩肌を目前に見ることができる。

 

(笏谷神社横)

 

 

 

「石切不動」

足羽山と運動公園の中間あたりにある採掘場入口。
中には素朴な笏谷石でつくられた石像がお祀りされている。