「ふくい桜マラソン」からの便り

さいごのピースが カチっとはまる

坂井市役所(丸岡支所)・本丸岡・「高椋」(約15.3K地点)

丸岡城の先を左折、さらにその先のENEOSの手前を左折し、コースはもと来た方向(九頭竜川の方向)へ折り返して行く。ここから約300mくらいのところ左側にあるのが、「坂井市役所」の「丸岡支所」。

2006年3月に「丸岡町」と坂井郡内の三町(「坂井町」「春江町」「三国町」)が合併して「坂井市」となっている。この庁舎は以前は、福井県坂井郡丸岡町」の庁舎だったのだろう。



「丸岡支所」の、なんか不釣り合いに広い駐車場の左側奥にあるのが、「丸岡バスターミナル」。


福井に来た頃(たしか2013年頃だろうか、丸岡城の東側の「竹田」あたりを走って、ここのバスターミナルから福井駅方面にバスで戻った記憶がある、その時はこんな立派なターミナルではなかった。古い建物の中に券売所+待合所があった記憶がある。



右側の屋根の有る建物は、待合室や他の施設も併設されている「丸岡バスターミナル交流センター」。

令和2(2020)年4月に大幅にリニューアルされて、こんなりっぱなバスターミナルになった、とのこと。(りっぱすぎ)

ここは、むかしは(私鉄)鉄道の「本丸岡」駅があったところ。
2013年頃にあった旧バスターミナルは、鉄道が廃線になった後の駅舎を使用していたものだという。(なるほど、そんな感じがしていた、納得)

 

むかし、鉄道(北陸線)を通すのに、県庁のある福井から城下町であるここ丸岡を通り、金沢に向かうのが筋だろうが、経費節約のため九頭竜川を渡るに一番川幅が狭いところを通したいと(そのほかにも理由があったらしいが・・)、福井から丸岡城の東側の「森田」を通って、田んぼの中に線路を直線的に北上させている。

北陸線の「丸岡駅」は、開設当時の駅名は「新庄駅」(「新庄」は土地の名前)、その後「丸岡駅」と駅名が変わっている。
北陸線の「丸岡駅」は丸岡城より東に約5Kくらいのところに位置している。

 

「本丸岡駅」を中心とした鉄道の最盛期には、三方向への鉄道網が伸びていたという。

  1. 「本丸岡駅」から北陸線・「丸岡駅」、
      北陸線の「丸岡駅」から(今の「えちぜん鉄道」の)西長田駅へ。
  2. 「本丸岡駅」から「永平寺口駅」、
      「永平寺口駅」から「永平寺門前」へ。
  3. 「本丸岡駅」から北陸線・「金津駅」(今の「芦原温泉駅」)、
       「金津駅」から三国方面へ。


これらの鉄道網は、JR北陸線以外すべて廃線となり、バス路線に転換され、以前の「本丸岡駅」には、新しいバスセンターが出来ている。

(詳しくは、鉄道友の会福井支部 のHP(「県内廃線跡探訪」)を参照ください。)

 

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もうちょっと寄り道していこう・・

庁舎の隣、バスセンターとの間にあるのが、「高椋コミュニティセンター」。

ここの、「高椋」は《たかむく》と読む。「椋」は《むくの木》の《むく》。

入口には《たかむくのまちづくり協議会》とある。

一方、ここから近いところに、《高椋小学校》という小学校があるのだが・・

なぜか!!《たかむくしょうがっこう》、とは読まない、のだ!!

《たかぼこ》小学校!!??「高椋小学校」《たかぼこしょうがっこう》と読む。


《高椋》=《たかむく》と《たかぼこ》、どうすれば《たかぼこ》と読めるのだろう?
いくらなんでも《椋》を《ぼこ》とは読めないだろう。

たかむくのまちづくり協議会》のHPに聞いてみた。
(「高椋豆知識」)

なぜ「たかぼこ」と言うようなったのか(広報紙no18号/H38.12)

 まち協の名前にもなっている「高椋」「たかむく」の名前の由来について、はっきりした定説はありません。古来から言葉の訛り説と、発音の訛り説、公文書での変化説があったようです。次のような漢字と読みが変化したものと解釈し、紹介します。
 高椋の古来の地名は「高向」(たかむく)と呼ばれる地域でした。これは多加牟久(たかむく)とも書かれていました。多加牟久は「たかぼうく」と読む、「牟」は(ほこ)を連想させるため、いつしか「たかほこ」と訛り、さらに「たかぼこ」と訛ったと言う説があります。
「椋」の漢字は、古来から高向地区の山々(現在の高椋東部地区)には、椋(むく)の木が多く繁っていました。椋の木が多い地域から、高向(たかむく)が「高椋」(たかむく)の漢字に変化したという説があります。


古来の地名が《高向》(たかむく)は、たしからしい、継体天皇のお母さんの出身地が丸岡のこのあたり、土地名が《高向》(たかむく)と言われている。

《高向》(たかむく)の字が《高椋》(たかむく)に変化するのは、なんとなく理解できるが一方、《高向》(たかむく)が《多加牟久》(たかむく)とも書かれ、ここまではわかる、《多加牟久》が《たかぼうく》と読めるのか?《牟》が《ぼう》と読めるのか?金+牟=鉾(ほこ)ではあるが、牟の単体で《ぼう》と読めるのか?漢和辞書を見ると、《牟》は、「牛の鳴き声の意、《ム》の部分が音を表して、《む》《ぼう》となる」とある、牛の鳴き声が《ぼう》と聞こえることもあるか・・、《牟》は《む》または《ぼう》と読めるので、《多加牟久》が《たかぼうく》は、あり、ということになる。《多加牟久》が《たかぼうく》に、さらに《たかぼこ》に転化したということになる。こじつけ気味ではあるが、なんとか納得できそうな気がする。


明治22(1889)年~昭和30(1955)年の間、丸岡市街の南方・西方一帯の地域(「一本田福所」・「舟寄」・「長崎」も含まれていて、けっこう広い地域)が《高椋村》(たかぼこむら)と呼ばれていたという。(それ以前は、《高椋(たかぼこ)郷》と呼ばれていた)昭和30(1955)年3月31日に《高椋村》が周辺の他の村と合併して「丸岡町」が発足し《高椋村》(たかぼこむら)は廃止となっている。

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高椋(たかぼこ)小学校の名称の推移をWikipediaから引用します。

  • 1880年明治13年) - 油為頭神社(油為頭(あぶらためとう))に明章(めいしょう)小学校を創立。
  • 1894年(明治27年) - 各小学校を尋常小学校に改称。
  • 1899年(明治32年) - 明章尋常小を第一高椋尋常小学校に改称
  • 1912年(大正元年) - 第一高椋尋常小を高椋東尋常小学校に改称。
  • 1926年(大正15年) - 東西両校を統合、高椋尋常高等小学校と改称、寅国(とらくに)に新築。
  • 1941年(昭和16年) - 高椋村国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年) - 学制改革により、高椋村立高椋小学校となる。
  • 1955年(昭和30年) - 町村合併により丸岡町立高椋小学校と改称。
  • 2006年(平成18年) - 坂井市発足により、現校名・坂井市立高椋小学校へ改称。

小学校の名称を決める時、高椋(たかぼこ)村の小学校だから高椋(たかぼこ)小学校としたという、至極もっともな背景でした。

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けっこう寄り道をしてしまった、そろそろ、コース戻りますか。