「ふくい桜マラソン」からの便り

さいごのピースが カチっとはまる

浜町芸妓文化

以下、
福井商工会議所」会報のホームページ 
http://www.fcci.or.jp/fsho/
『会報』2018年新年号の記事からの引用です。
「時代を超えた努力がつくる福井の誇り」
http://www.fcci.or.jp/fsho/1801/1801_50.pdf

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福井の産業振興と共に発展した芸妓文化

明治から現代まで続く浜町芸妓

明治から昭和にかけて、福井の繊維産業は最盛期を迎えていた。盛況を誇った当時の企業の社員たちは繁華街に繰り出し、福井の中心部を大いに賑わせた。その繁栄に彩りを加えていたのが福井の芸妓文化 (浜町芸妓)だ。浜町芸妓のルーツは古く、近代では明治期に芸妓の学校が創立された記録が残る。当時の花街は照手町や橋南地域にも広がっており、宴席を盛り上げていた。多彩な芸が披露される中、特に「福井小唄」は福井の情景や歴史を唄ったもので、当時から唄い継がれる、地域特有の文化である。
昭和20年7月に、福井は大空襲を受け、戦災復興途中の昭和23年には福井地震が発生。さらには水害にも遭い、甚大な被害を受けた。花街も大きな被害を受けたが、その後、いわゆる「ガチャ万時代」が到来「不死鳥」と謳われる大復興を遂げた。繊維産業の興隆に伴い、花街も再び賑わいを見せた。


存続のための新たな取り組み

繊維産業は変遷し、繊維に携わる企業の数が減少。同時に花街も衰退していく。芸妓存続の危機に陥ったこともあったが、現在は(一社)福井・浜町芸妓組合(福井市中央3丁目9-26)が浜町芸妓の伝統を守り続けている。今村百子理事長は福井の芸妓文化を守るため、芸妓の知名度向上と組織強化の取り組みを行っている。浜町芸妓の重要課題である後継者不足解決のため、今年3月に新卒対象の就職説明会に参加。学生と接する場を作り、芸妓という職業をPRした。
また、芸妓の活動を多くの人に知ってもらうために、「浜町芸妓 温習会」や、全国の芸妓団体の協力のもと「花あかりふくい」を開催し、多くの観客に向けて華やかな芸を披露した。この他にも、昼の時間帯に福井県内の主要観光地でガイドをするなど新たな取り組みを次々と始めている。
後継者育成という点で、次に目指す先は「置屋制度」の復活。これは芸妓たちを一つの家に住まわせ、日常の生活を通して芸妓として必要な技能や知識を学ぶもの。これを現代に適した形に変えて後進を育てていきたいと考えている

福井の魅力は「繋がりの強さ」

今村氏は、福井の良さを「繋がりの強さ、距離感の近さ」だと語る。「花あかりふくい」の後半では、福井市中心部の5つの料亭にて宴席が設けられた。同席した他地域の芸妓が驚いたのは、「客同士の仲の良さ」だった。今村氏は「地域の魅力といっても、そこにいる人たちが楽しそうでなければ魅力は伝わらない」と語る。「浜町は歴史的に地域の人たちとの強い繋がりで栄えた街。その繋がりを活かし、来訪客を福井のコミュニティに引き込み、“繋がりの強さ”がつくる楽しい思い出を作ってもらいたい」と、今後の芸妓文化の在り方を熱く語った。

 

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上の記事の中にあった「福井小唄」ですが、「芸妓育成会」さんが作成されたYouTube画像がありましたので、参考までにURL乗っけておきます。

https://youtu.be/s42p4qmjngk?si=whjqWs0l07GofTBE

いい感じの浜町付近の福井の街の案内になってます。

〽さても見事な お城の桜 咲いた盛りを 春風吹けば
 三十五万石 花の山
〽東しや浜町 西には木町 さんざめく灯が 水面にはへて
 中におぼろの 九十九橋
〽乙女心の 白羽二重を 誰が染めたか 情の色に
 胸ももへたつ 紅がのこ
〽星も逢う夜は 足羽の山へ 語る二人の 彼のむつ言を
 みんな聞いたか お月様
〽夏の涼みは 足羽の川へ ほたる身をやく 川原のやみへ
 ついの浴衣が 消えて行く

 

この映像や音源は権利者に無断で転用、複製等はできません。』

とあります、《転用》や《複製》はしてはいないので、
特に問題はないかと思いますが、
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