コースは丸岡城を右に見て、この先左折、ここでほぼ折り返しとなりますが、中間点は、まだ先です。
(手前側の道路が、マラソンコース)(天守の向こう側が、天守の入口)
お城の下の広場は、駐車場ではなく、いろんなイベントで利用されている広場ですので、エイドになるのは必定であります。春はお城の周りは桜で彩られています。
丸岡城は、渋いお城ですが、どんなお城なのか?新聞にコンパクトにまとめている記事が目に留まりましたので、ご紹介します。
(以下、主に、2022/12/04 福井版朝日新聞の記事からの抜粋です)
(写真は、管理人撮影)
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丸岡城
(お城近くの説明看板 ↓)
- 戦国時代に織田信長の家臣・柴田勝家のおいの柴田勝豊によって築城
- 現存する天守は「重要文化財」
- かつての城郭には五角形の広い濠が巡っていた
- 天守以外の門・櫓などは明治に売却され、本丸を囲む五角形の内堀や外堀のほとんども埋められた
- 敵が襲来すると井戸から大蛇が現れて口から霞を吐いて城を守ったという伝説から、「霞ヶ城」と呼ばれている
- 天守は1934(昭和9)年に国宝に指定されたが、1950(昭和25)年の法改正で旧法の国宝はそのまま重要文化財に
- 1948(昭和23)年の福井地震で倒壊し、1955(昭和30)年、できる限り古材を活用して再建
- 石製の瓦(笏谷石・福井産の緑色凝灰岩)の天守は全国で唯一、豪雪に耐えるため、重い石瓦で葺いている
- 天守台の石垣は「野面積み」(のづらづみ)という戦国時代の方式で、水はけが良く大雨でも崩れる心配がない
- 内部は3階建ての、「望楼型」(ぼうろうがた)と呼ばれる古い建築様式(一階もしくは二階建ての入母屋(いりもや)造りの建物の上に物見の建物(望楼)を載せる)
- 1階には石垣を登ってくる外敵に石を投げ落とす「石落とし」や、鉄砲で攻撃する「狭間」とうい穴がある
- 2,3階へは急傾斜の階段をロープにつかまりながら上る
- 3階からの景色は実に壮観
- 天守の建築時期については、勝豊による1576(天正4)年説と、丸岡藩の初代藩主となった本多成重による1613(慶長18)年以降説の二つがあった
- 2016年には「丸岡城天守を国宝にする市民の会」が発足し、地元は国宝化への歩みは止めていない
- 2018年には「丸岡城周辺賑わいのまちづくりビジョン」を策定し、全国のお城ファンと地域をつなぐ交流拠点をオープンするなど、積極的に活動
入館
(マラソンコースは、上のマップの右上「お天守前公園」の右側の道を上から下へ)
- JR福井駅からのバスでのアクセス
福井駅西口・バスターミナル「1番」乗り場から京福バス「県立病院丸岡線」もしくは「大和田丸岡線」で丸岡城行に乗車、福井駅⇒丸岡城 所要時間約50分~60分、30分間隔で運行
約14.5K 丸岡城通過です。